ザッピング・ライフ

超仙人系男子が綴る、新しい地球の歩き方。

RADWIMPSのHINOMARU炎上騒動とは何だったのか?(前編)

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こんにちは。

超仙人系男子、たっしーです。

 

連日の猛暑により、一日一アイスが欠かせない今日この頃ですが、

今更感ありますがこの話題。

 

RADWIMPSHINOMARU炎上騒動について私の考察を書きたいと思う。

 

若者に人気のロックバンドRADWIMPSが今年6月に発売したアルバム「カタルシスト」の中に収録されている「HINOMARU」という曲の歌詞が、SNS上で「愛国的だ」「軍歌だ」と批判され炎上した。

それについて、この曲の作詞を担当したRADWIMPS野田洋次郎さんがSNS上で謝罪した。

この一連のメディアの報道がHINOMARU炎上騒動である。

 

私はこの騒動に2つのことを感じた。

1つ目は人の「部分的な情報処理の性質からくる思い込み」の怖さだ。

RADWIMPSの野田さんはこの曲を発表する前にSNSで次のことを言っている。

 

「(省略)世界の中で、日本は自分たちの国のことを声を大にして歌ったりすることが少ない国に感じます。歴史的、政治的な背景もあるかもしれません。色んな人がいて、色んな考え方があります。誰の意思や考え方も排除したくありません。

 

僕はだからこそ純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました。自分が生まれた国をちゃんと好きでいたいと思っています。

 

まっすぐに皆さんに届きますように」

 

野田さんの観点は「思想的な意味も右も左もなくこの国のことを歌たいたい」というところだ。

純粋に日本の国のことを歌いたい。

この観点からHINOMARUの歌詞はつくられている。

 

そして

批判のコメントは「愛国的」「軍歌」という指摘。

これはどの観点からの批判かというと政治的な思想の観点だ。

その観点から観てHINOMARUの歌詞は戦争を思わせるのではないか、だから良くない。という論理展開になっている。

 

「私は日本という国が好きだ」といったら、「戦争やろうぜとは何事だ」といっているようなものだ。

批判のコメントの観点がどう考えても論点がずれた批判であることが分かる。

 

それにも関わらず、メディアは批判というところだけとって

RADWIMPSがいかにも悪いことをしたと受け取れるような報道の仕方をしている。

 

さらに、この批判に対してRADWIMPSの野田さんがSNSでこのような謝罪文を出した。

 

「戦争が嫌いです。暴力が嫌いです。どんな国のどんな人種の人たちとも手を取り合いたいです。(中略)HINOMARUの歌詞について軍歌だという人がいました。そのような意図は書いていた時も書き終わった今も1ミリもありません。誰かに対する攻撃的な思想もありません。

そのような具体的な歌詞も含まれていません。この曲は日本の歌です。(中略)みんなが一つになれるような歌が作りたかったです。結果的にその曲で不快な想いをさせてしまった人がいたというのが何より悲しいです。

(色んな人の意見も聞いていてなるほど、そういう風に戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるのかと腑に落ちる部分もありました。傷ついた人達、すみませんでした。(以下省略)」

 

 

RADWIMPSの野田さんは始めから思想的な観点から書いていませんといっているにも関わらず、丁寧にもう一度背景を説明している。

そして歌詞の内容が戦時中と結びつけて考えられる可能性もある、それによって傷ついてしまった人に対して謝罪をしているのである。

 

例えるなら、

青森のリンゴをイメージして、私はアップルが好きだと言ったのだけれども、もし仮にあなたがWindows派でMacのことがとても大っ嫌いで嫌な想いをさせてしまったのであればごめんなさい。

といっているようなものだ。

 

つまり、曲をつくったことに対して謝罪をした訳ではなく、誤解をさせてしまう可能性があったことに対して謝罪をしているのである。

 

この謝罪に対してもメディアは

RADWIMPSが謝罪した!というところだけを強調するような見せ方をしている。

 

nTechでは脳のクセを規定している。

人間の脳は部分だけをとって、過去とつなげてとるというクセがある。

過去のイメージは育った背景や文化は人それぞれ違う。

そのため人それぞれ異なるイメージである事象を受け取ってしまうことになる。

脳が部分だけをとり、それぞれの過去とつなげて思い込みができ、それぞれの思い込みが異なるため摩擦衝突が起き、感情を逆撫でし、争いが生まれる。

これが争いが生まれるメカニズムだ。

 

この曲が戦争を想起させると批判した人たちが

実は自分たちが戦争を起こす原因となりうる可能性を持っているということに気づいていないことが私は恐ろしいと思う。

 

いやいやそういうあなたも批判してるじゃないか!

そんな声が聞こえてきそうなので断言しておく。

私は確かに批判している。

ただ、私が批判しているのは人間の脳に依存する認識の仕方の一点のみだ

ということをここではっきりと言っておきたい。

 

批判する理由はより良い代案があるからに他ならない。

 

RADWIMPSHINOMARU炎上騒動とは何だったのか?(後編)につづく

人生の目的とルールが解る!|ポケモンGOとnTech。

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人生の目的とルール

「人類はコンピューター・シュミレーションの中に生きている」

テスラモーターズCEOのイーロン・マスク氏はいう。

ふーん。。

どうやら、物理学の世界でそんな議論があるらしいが、高校生の時に物理Ⅱが理解不能すぎて理系から文転した私にはそんな難しい話はよく分らない。

ただ、もし仮にこの世界がゲームだとするならというところから考えてみてほしい。

仮にこの世界がゲームだとするなら、この世界の目的とルールははっきりと知っておく必要がある。

なぜなら、ゲームの目的とルールが分らないということは、このゲームの中で自分が何をしたらいいかさっぱり分らないということだからだ。

 

例えばサッカーゲームでは、目的は相手よりも多くボールをゴールに入れて勝つこと。そして、ルールはゴールキーパー以外は手を使ってはいけない、とかディフェンスよりも前でパスを受けてはいけないとか。そのゲームを成り立たせるためにそれらがある。

もし、あなたがサッカーゲームの目的とルールが分らず試合に参加したとするならどうするだろうか?

きっとあなたは何が正しいのか、間違っているのかいろいろ考えるだろう。

あなたは手でボールをキャッチして相手の選手の顔面におもいっきりぶつけるかもしれないし、ゴールポストにぶら下がって肩と腰の骨を少しだけ緩めることになるかもしれない。

(おそらく、あなたは、周りの人のまねをするだろう)

そう。

ゲームの目的とルールが分らないと、あなたは迷ったり、悩んだりするのである。

 

じゃあ、人生というゲームの目的とルールはなんだろうか?

 その問いに答えるのは至難のわざ。

だって、数々の過去の偉人、聖人達が追求して追求してやっとこさたどりついても、言語化することが難しかったり、伝わらなかったり、とにかくとってもとっても難解な問いだからだ。

えー、でも知りたい!

「人生の目的とルールってなに!!?」

 

ポケモンGO

この流れで私はポケモンGOの話をしたい。

なぜなら、ポケモンGOはこの人生の目的とルールに対して一つの答えをだしているからだ。

ポケモンGOの特徴はスマートフォンGPS機能とAR(拡張現実)技術を使い、まるでこの現実にポケモンが存在しているかのような演出だ。

例えば、近所の道ばたにスマートフォンを掲げると野生のドードーと遭遇!っていう具合だ。

このポケモンGOの目的は、全種類のポケモンを捕まえてポケモン図鑑を完成させるということ。

ルールは、トレーナーレベルをあげると新しい道具が手に入るとか、強いポケモンと出会えるとか、まあ、いろいろある。

!!!!!

私の伝えたいこと、お分かりいただけるだろうか?

ポケモンGOには目的とルールがある。

なので、スマートフォンポケモンGOを起動してこの世界にかざすだけで、この世界の目的とルールがはっきり、めっきり明確になってしまうのだ!!

あー、よかった、よかった。

これで、やっとこの人生の目的とルールがわかって迷わず、悩まず生きていける♪

みんなポケモンGOやろうぜー。

といって果たして何人の人が納得してポケモンGOの生活をするだろうか?

。。。

この世界のルールと目的が明確になったからといって、それを誰しもが納得しなければそれは、真実にはなりえない。

がっかり。

 

 

だれもが人生の目的とルールを納得できる認識技術

 nTechはこの人生の目的とルールを明確に説明し、誰もが理解、納得できる技術である。

ん?

nTechはこの人生の目的とルールを明確に説明し、誰もが理解、納得できる技術である!

 

ふ〜よかった。

これで、あなたもボールを相手の顔面にぶつけ続けなくて済みますね。

 

 

人生の目的とルールが分かって人生が劇的に変化した私のストーリーはこちら

yuya-odahara.hatenablog.jp

 

あなたがあなたの彼女に飽きるたった一つの理由

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美人は3日で飽きる

なんて言葉があるように

人間は同じことの繰り返しに

とても苦痛を感じる生き物だ。

 

あなたも

付き合い立ての頃は

何があっても

ドキドキして

どんな些細なことでも

パートナーのことが

愛おしく思えていたのに

 

月日が経ち

いつの間にか

何をしても

楽しくない

マンネリ

むしろ

パートナーに対して

イライラすることが多くなった

 

そんな経験をしたことはないだろうか?

 

そんなとき

私たちがするのは

①がまんをして付き合い続ける

②別れて他のパートナーをつくる

この2択のうちのどちらかではないだろうか?

 

①を選択する場合には

①を選択しなければいけない理由があって

(例えば世間体など)

たとえ続いたとしても

どこかで歪みが生じ

浮気や不倫

なんてことになりかねない

 

②を選択したとしても

必ずまたいつか

マンネリがきて

付き合うことが

ストレスへと変わる

 

じゃあもう無理ゲーなんじゃ

そうやってあきらめていくしかない

 

なぜ

そんなことになってしまうのか

それは

脳のクセにしばられているからだ。

 

脳は違いだけをとるというクセがある。

常に違いをとり変化し続けたいという意志がある。

そういう存在としての機能があるのだ。

 

つきあい始めの時は

何でも新鮮で

すべてが違いに溢れて観えてくる

しかし、

時間が経てば

前にもあったことだと

脳は同じで取るようになる

そして新しい違いを見つけるために

 

新しい世界と出会いたくなる。

これは

例えば

喫煙者が喫煙しないとイライラするように

ギャンブラーがもっと大きな当たりを求めるように

強烈に私たちの心を揺さぶってくる

 

あなたがあなたの彼女に飽きるたった一つの理由は

この脳の機能的なクセから自由になってないからだ。

 

この脳のクセから自由になるためには

脳のクセが働かないところから

脳のクセがなぜつくられたのかを

理解する必要がある。

 

それは

nTechという

認識技術によって可能だ。

 

脳のクセから自由になれば

条件反射的に起こる

脳の違いを求める反応に左右されることがなくなる

 

逆に脳のクセを利用して

自ら思うような変化をつくっていくことができる。

そうやって

常に変化し続けられるパートナーシップをつくることが

できるようになる

 

いつも

新鮮な出会いを

どんなことでも

感動できる

そんな

関係性をつくってみたくはないだろうか?

 

 

私の関係性の変化のきっかけとなったお話はこちら

yuya-odahara.hatenablog.jp

 

映画「未来のミライ」に観るこれからのライフスタイル

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先日、映画「未来のミライ」を観た。

この映画のnTechを使った私の解析から

これからの時代に必要なライフスタイルについて書きたいと思う。

 

この映画を観ての私の感想は「退屈」だった。

 

この映画は基本的に主人公の4才の男の子くんちゃんと

その家族が住む一軒の狭い長屋を中心にして展開していく。

くんちゃんのお父さんは建築家でくうちゃんたち家族は

お父さんが設計した家に住んでいる。

 

その家は普通の家とは少し違う。

リビング→中庭→ダイニングという構成になっている。

つまりリビングからダイニングに行くためには一度中庭を通らないと

いけない構成になっている。

中庭はもちろん外部と接続されているため、

雨の日には傘をさしてそれぞれの部屋を移動しなければいけない。

 

この構成を見て私はすぐにピンと来た。

安藤忠雄の「住吉の長屋」だ。

私が前職、建築を志したきっかけとなった建築物だった。

この住吉の長屋の構成とこの映画の舞台の長屋の構成はとても似ている。

間違いなくそこから着想を得ていることが分かる。

 

住吉の長屋をつくった安藤忠雄はこう言っている。

狭い敷地の1/3を割いてまで造った光庭は、都市で失われつつある光、風、雨といった自然の感覚を住居に引き込む装置である。それによりさまざまに様相の変化する生活空間から自然を感じ、豊かな生活を送れるよう配置された

豊かな生活とは何なのか?

安藤忠雄は中庭によって私たちにメッセージを突きつけた。

 

この映画のストーリーも

中庭という空間が私たちにメッセージを伝えるためのキーとなっている。

 

この映画はダイニングと中庭。

大きく言えばこの二つの空間によって展開される。

 

ダイニングが象徴するのは日常。

くんちゃんたち家族がどこの家庭にもありそうな普通の生活が描かれる。

妹ができて子供がえりするくんちゃん。

子育てに奮闘する夫婦。

 

中庭が象徴するのは時空間。

中庭が時間と空間を拡張していく装置として描かれている。

未来の妹とじゃれあうくうちゃん。

過去にタイムスリップしひいおじいちゃんやお母さんの若き時と絡むくうちゃん。

 

この日常と時空間の二つの関係性がうまく描かれている。

くんちゃんは中庭で過去や未来と接続し、それが日常に影響を与える。

 

それにより映画は

今ココの日常は、常に時空間がどこまでも拡張された次元と接続し

常に変化していることを伝えている。

 

細田守安藤忠雄が観ている世界。

 

とてもすばらしい世界観だと思う。

 

しかし、私は冒頭で

この映画は退屈だった、と言った。

なぜ退屈だったのか?

 

それはこの映画が次の新しい時代を生きていく私達にとって

必ずしも劇的な変化を起こすための何かを与えてくれるものだとは言えなかったからだ。

 

過去があって未来がある。

それらを道具にして今ココを観る。

それでは、1人の世界観に変化をあたえることは可能かもしれないが

そこにとどまるしかない。

くんちゃんが時空間を移動した体験をし、それによって自転車が乗れるようになった。

それはくんちゃんだけがみる世界観であり、お母さんやお父さんには共有ができない。

 

歴史や社会が集団の意識の集合体だと考えるなら、この共有が出来ないということは

それらを変化させていくことにおいて決定的な弱点となりうる。

過去や未来のイメージは人それぞれ異なる。

そこに今ココの根拠をもってくるのはとても危険だ。

歴史認識の違いによって戦争は起こっているのだから。

それによって、格差、いじめ、日常生活の喧嘩すらも起こっているのだから。

 

これからの新しいライフスタイルに必要なものは

すべての人に共通となるイメージを今ココの根拠とすることである。

 

それがnTechによってできることである。

 

共通のイメージによってつながり、個性が生かされる

チームプレイで最高にクリエイティブできるワクワクのライフスタイルを

今ココから。

 

私の新しいライフスタイルをスタートさせるきっかけとなったお話はこちら

yuya-odahara.hatenablog.jp

 

 

8月9日は何の日?

ある先生がこんな質問をしてたことを思い出した。

 

「8月9日は何の日でしょう?」

 

当時の私はすぐにその答えを思い出せなかった。

 

誰も答えないので

先生は言った。

 

「長崎に原爆が落ちた日です。」

 

先生が答えを言っても

私の意識の中に広がる感情の海は

一切波風が立たなかった。

 

それくらい

遠い昔のこと。

 

私たちには関係ない

 

透明な空気が

声を出さずにそこに存在していた。

 

それから

私は出会いを繰り返し

 

今では

あまりにも深いところまできてしまった。

 

教科書には載ってない

歴史には

たくさんの涙が流れていた。

 

テレビには映らない

綿密な策略が

怒りの声に蓋をしていた。

 

私は

悔しい。

 

今、こうなってしまっていることが。

 

心の奥底が

震えて

 

振動が

唇を伝わり

 

淡い新緑の息吹となって

あなたのもとに

 

届いてくれたらいいのにと

願う

 

そしたら

世界はひっくり返って

 

平和へと続く道を指し示す

ファンファーレが

 

君の心の奥底で

鳴り響いて止まなくなるはずだから。

 

 

先生はまた質問をした。

 

「8月9日は何の日でしょう?」

 

誰も答えないので

先生は言った。

 

「今日はハグの日です」

 

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相対比較から自由になって、チームプレイで世界を変える日本をつくろう。

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私は誰も心が傷つかない社会をつくりたいです。

 

心を傷つける原因は相対比較です。

なぜならば人と比べると優劣がつき

自分の存在が小さくなってしまうからです。

 

特に今の時代は相対比較の範囲が広がっています。

スマートフォンの登場によって意識空間の範囲が爆発的に拡がりました。

それと同時に相対比較ができる範囲も拡がったんです。

 

さらに最近はAIが登場してきて

比較する対象が人だけではなくなってきています。

 

そういう時代を私たちは生きてるから

誰もが無意識で瞬時にものすごい量の相対比較をして

自分の存在が小さく小さくさせられています。

ですので

みんな目には見えないところで

心がズタズタになってるんですよね。

 

実は私も相対比較で心がズタズタだった時があったんです。

 

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自分の存在を小さく小さくさせられていた頃

幼少期の相対比較の範囲は双子の兄でした。

 

兄が病気で入院し、母が看病して家にいなかったときがあったんです。

私はそのときどうにもできない無力感を感じました。

声をあげてないても届かないし、どうやっても会いに行けない。

絶対的な敗北。

どうにかして母を振り向かせるためにその時に決断したんです。

(絶対負けるもんか!)

 

兄に負けたくない一心で勉強やスポーツを頑張りました。

勝った時は優越感を感じる。

でも負けた時はショックで一日中気分が落ち込む。

それを繰り返していました。

 

相対比較の範囲は周りの同級生にも拡がります。

 

中学校くらいまではよかったんです。

相対比較の範囲がある街の校区内だけだったので。

順調に一番とかなってたんです。

 

 

高校生になった時、私は初めて大きな挫折をしました。

大学受験失敗です。

大学受験は各地域での相対比較です。

範囲が広がるんですよね。

 

その競争に負けて私は

人生終わったと本気で思いました。

それぐらい私にとって勝つということが存在意義だったんです。

 

地方の大学に進学した私は

何の目標も持てず、無気力な日々を過ごしました。

どうせ自分は何をやっても勝つことができない。

自分の存在はどんどん小さくなっていきました。

 

 

あがく

その小さな自分で十分じゃないか。

自分らしく日常に幸せを見つけよう。

そうやってミニマルな思考をとりいれても

私の心は満たされませんでした。

 

そこで私はまた相対比較をして少しあがくんです。

資格をとれば認められるんじゃないか

とにかく本を読んで知識をつけたらいいのではないか

いっそ土俵を変えてしまえば

そうやってデザインの専門学校に入学したりとか。

 

でもどんなことをしても

上には上がいて永遠に勝つことが出来ない。

また無気力な自分に後戻り。

むしろ少しあがいた分余計に心は苦しくなるのでした。

 

社会人になって

無力感と相対比較との狭間で生きる意味を見失っていたとき

私はある人と出会いました。

 

 

出会い

その人はノ・ジェスという人でした。

彼と初めて会ったとき、正直何を話しているのか分かりませんでした。

とにかくぶっ飛んだ話をしていたからです。

 

でも

直観的に

彼は私のことを無条件で受け入れ、可能性でみてくれていると感じました。

そんな人と会ったのは初めてでした。

もちろん不安もありましたが、思い切って研修にいく決断をしました。

 

 

自分と自分の宇宙が消える

研修はめっちゃ濃度濃くてとにかくすごかったんです。

そしてそれはあっというまの出来事でした。

目をあけたままで自分と自分の宇宙が消えたんです!

本当の自分は比較不可能

誰も自分の上に立たせることができない

絶対尊厳そのものだったと知りました。

そこから

スローモーションで宇宙が成り立つ仕組みが見えました。

そして分かったんです。

人間を相対比較させ苦しめている原因が明確に分かったんです。

 

 

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私、変化

それから私は相対比較から自由になりました。

なぜなら本当の自分はそもそも比較ができないからです。

一言でどんな自分に変化したかというと

スッキリー!です。

 

そんな自分に変化して

少しづつ人との関係性が変わっていきました。

自分が勝つためにつくる関係性ではなく

チームが成長していくためにつくる関係性にです。

チームプレイをすることの喜びを心の底から感じられるようになりました。

 

 

日本の可能性

そして日本の可能性にも気づきました。

昔からわびさびという独特な美的感覚のある日本は

実は

美しいチームプレイができる国だったんです。

 

しかしながら

今の日本はどうでしょう?

 

個人主義が広がり

個人と個人が勝ち負けを競い合い

組織と組織が勝ち負けを競いあっている

次の方向性を見失っている。

 

あきらめの心が蔓延している

私にはそういう風に映ります。

 

でも日本には

世界をリードしていくことが出来る可能性がある。

勝ち負けではなくて

すべてを生かし合えるチームプレイのモデルをつくる

ミッションがある。

 

そんな

日本の可能性に気づかせてくれたのが

韓国人のNohさんでした。

 

私たち一人一人が

自分の可能性に気づき

日本の可能性に気づき

熱く燃え上がって結集すれば

 

 

日本から世界は変えられる。

 

 

 

お問い合わせはこちら

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劣等感から自由になる唯一の方法

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人とつい比べて自分はダメだと思ってしまう。

自分にはどうせできないとあきらめてしまう。

どれだけ結果を出しても満たされない。

 

そんな風に劣等感を感じることってよくありますよね。

 

ほんとうは

常に自信をもっている自分でありたいのだけど

なかなか理想の自分にはなれませんよね。

 

だから

資格をとってみたり

いい会社に転職しようとしてみたり

独立して稼いでみたり

いろいろ努力をしてきませんでしたか?

 

でも

常につきまとう劣等感。

 

劣等感を感じる原因はなんでしょうか?

それは脳の観点が原因です。

脳の観点で観ているかぎり

常に自分と他人を比較してしまいます。

 

そして

自分は勝ってる、劣ってると認識してしまうのです。

今の時代は世界中の人とインターネットでつながっているので

比較する対象はとてもたくさんいるので

必ず

劣等感を感じるようになっているのです。

 

劣等感から自由になる唯一の方法は

脳の観点の外に出ることです。

それはnTechによって可能です。

 

そうすることによって

私は劣ってる、勝ってるという概念から

自由になり

ありのままの自分を受け入れることができるようになります。

 

あなたも劣等感から自由になり

あたらしい人生をスタートさせてみませんか?

 

私の新しい人生をスタートさせるきっかけとなったお話はこちら

yuya-odahara.hatenablog.jp