ザッピング・ライフ

超仙人系男子が綴る、新しい地球の歩き方。

「ありのままの自分でいい」と言われてもありのままで生きられない理由。

ありのままの自分でいい

音楽が好きだ

私の横隔膜の窮屈さを少しやわらげてくれるから

映画が好きだ

おとなりさんに少し会釈でもしようって気分になるから

 

それらは決まって同じことを問いかける

「ありのままの自分でいいよ」と

それを聞くと

肩の力が抜け、勇気が湧いてくる

そっか

そうなんだ

安心する、ほっとする

 

でも次の日には

また

もとどうり

 

世間は私を

ありのままでは

いさせてくれない

 

そう

ありのままで生きていくことは

難しい

 

ありのままの自分とは?

そもそも

ありのままの自分って

どんな自分なんだろう

 

家で缶チューハイを片手に

動画を見ながらポテチを食べる

自分だろうか?

 

無邪気にわらって

どろんこになって遊んでいた頃の

自分だろうか?

 

どんな自分が

ありのままの自分なの?

 

私の好きな私が私?

私の嫌いな私は私じゃないの?

 

私は私

そういっている私は私?

 

私は誰かから観察されなければ

私に成り得ない

量子力学的私

 

ありのままの私は

どこ?

ありのままで生きていくために

ありのままで生きられない理由は

ありのままの私が

何者なのか

分からないから

 

ありのままの私を探して

探して

探し続けたけど

見つからないのは

君が

仏さんじゃないからじゃない

 

それは

君がただ

知らないだけ

ありのままの

ほんとうの自分を

 

出る杭を打つ

KYなんて言葉が流行ったのはもう十何年前の話だということに気づいて、時の流れの早さを実感する。

 

あの時に比べると色々変わった。

 

AIが人間の雇用を脅かすなんて言われたり、人生100年時代だといわれたり。

 

時代の流れはまるで渦巻く台風の中にいるかのように、私たちを混乱させる。

 

KYという言葉を未だに使っている人がいるのかはわからないが、その空気を読めという日本ならではの同調圧力の文化は変わってないように思う。

 

アイドルが不祥事を起こせば、報道で吊るし上げ、ネットで叩く。

 

どこぞの社長が月にいくなんて言えば、もっと人の役に立つことに使えという。

 

言ってる輩は自分の給料を人の役に立つことにどれだけ使っているのだろうか。

 

日本という独特な風土に嫌気がさしてくる。

けれどもそこから逃れることは難しい。

 

出る杭は打たれるべき運命にある。

 

そんな不思議の国日本で、声を上げて叫ぶことは勇気のいることだ。

 

ましてや、その叫んでる内容がぶっ飛んでいたらなおさらだ。

 

打たれ続けた結果、人はどうなるのか。

出ることを諦めてしまう。

 

その代わり、あなたの中にふつふつと湧き上がってくる感情は、行き場を失う。

 

出る杭は打たれるべきなのか?

 

そんなはずはない。

これからの時代に何もしなかったら、どんどん沈んでいくばかりだ。

 

泥でつくられた船はもう、誤魔化すことができないくらいにボロボロだ。

 

さあ

立ち上がろうじゃないか。

 

出切ってしまえば、叩きたい奴も叩かなくなるから。

 

 

人生の道がどこに続いているのか分かった話。

私の小学生の時の夢は建築家になって

巨大な滑り台のある家を建てることだった。

祖父が大工だったので子供心に憧れを抱いたからだ。

 

しかし、高校生になったとき

私は建築家になることを諦めた。

なぜなら、建築学科に進むために必要な

数学と物理が私には難しすぎたからだ。

 

当時の私は建築学科に進めないと建築家になれないものと思っていた。

 

妥協して、経済学部に入った。

商品開発やマーケティングの方でものづくりに関われる仕事に就きたいと思った。

マーケティングを学んでもマーケティングの職種で内定がとれるとは限らない。

私は地元の印刷会社に内定をもらっていた。

 

兄の鬱をきっかけに

人の生き方に影響を与えたくて

私は内定を辞退して建築デザインの専門学校に入学する。

それから、設計事務所に就職した。

物理や数学ができなくても建築家になれる道があることを知る。

 

ただ、

建築で本当に人に生き方が変わるのだろうか?

疑問を持つ。

 

人は

変わらない。

そう思っていた

だって

私は何も変わっていない。

 

9.11がおきても

3.11がおきても

 

人は変わらない。

 

戦争は終わらないし、

私の兄の鬱もなおってない。

 

人生の道にゴールがあるのだとしたら

それはどこに続いているのだろうか?

 

その時の私には一寸先すら

見ることができなかった。

 

そして私は

出会うことになる。

 

人生の道がどこに続いているのか?

その答えに。

 

私は

その答えに出会うために

今まで

生きてきたんだと分かった。

 

その答えは

私の真っ暗な世界に

はっきりとした光として現れたんだ。

 

今まで何も見ていなかったんだと。

今まで何も聞いていなかったんだと。

知った。

 

私は今

人生の道がここに続いているんだと

私のすべてをかけて

叫んでいる。

 

 

女性恐怖症だった私が結婚できた理由

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私は女性が苦手だった。

なぜなら、女性は私を攻撃してくる存在だと思っていたからだ。

 

例えば、学校で隣りの席が少し強気な女の子だった時

私は緊張で汗が出て来て、身体は硬直していた。

話しかけられるものなら喉の奥が硬直し、声が震えた。

そんな自分を見られるのが嫌だから、

私はなるべく、女性と関わらないようにしてきた。

 

だからといって、私は女性と仲良くなりたくない

訳ではなかった。

できるものなら周りと同じような青春を過ごしたいと

思っていた。

 

だけれども

青春はいつまで経ってもこなかった。

もはや、しんしんと雪の降る冬がずっと続いて

今が冬であることを忘れてしまうくらいだった。

 

どうしてこうなってしまったのか

私はその理由を知りたかった。

心理学の本を読んでみた。

幼少期のトラウマが原因。

そんな風なことが書かれていた。

 

確かに、

私の幼少期は恐怖といつも隣り合わせだった。

母親はいつもイライラしていた。

私が少しでもおかしな言動をしようものなら

ものすごい剣幕で怒り出した。

だからいつも怒られないようにビクビク、緊張していた。

なぜか小学生なのに便秘だった。

 

原因はその幼少期のトラウマだと分かった。

でも分かっただけで、解決策は見当たらなかった。

トラウマを消す方法が分からなかった。

 

社会人になってもその性格は変わらない。

私はこのまま1人で生きていくものだと思っていた。

 

でも

あるとき私はトラウマを消す技術と出会った。

その技術はすべてのものに共通する変化の仕組みを

解き明かした技術だった。

 

トラウマがどんな仕組みで出来ているのか

それが理解できた

仕組みが分かれば、その仕組み通りトラウマを解体し

新しい私をつくり出すことができた。

 

トラウマから自由になった私は

普通に女性とコミュニケーションがとれるようになった。

それだけではなく、仕組みが分かったことで

相手の気持ちが相手よりも分かるようになった。

 

深い所でつながる

関係性を作っていくことができるようになった。

 

そうして私は今の妻と出会った。

東京

あのとき感じた

高揚感は

あとかたもなく

消え去って

 

私の隣りには

ドス黒い

空気の死骸が

消失感とともに

横たわる

 

どうして

こうなってしまったのだろうか

 

テレビもない部屋で

ひとりぼっち

 

窓から入ってくるはずの光が

幻であることなど

とっくに気づいているはずなのに

 

ああ

どうして届いてくれないのか

 

私はこんなにも

あなたの近くで

ずっと

叫び続けているのに

 

一雫の涙が

この世界の真ん中に落ちて

信じられないほどの

爆風を巻き起こしていく

 

そんな未来が

もう目の前に

やってきていることも知らずに

 

君は

まだ眠り続けている

私のおじいちゃんは偉大だ

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私のおじいちゃんは偉大だ。

 

私のおじいちゃんは、今年で90才。

とてもおちゃめで、いつも冗談を言ってはみんなを笑わせる人だ。

私が幼い頃はよくカブトムシを取りに連れて行ってくれたり、

工作の宿題をいっしょにやってくれたりした。

 

だが、しかし

私のおじいちゃんは怒るととても怖い。

私が幼い頃はよく

おじいちゃんがおばあちゃんを怒鳴りちらしていたのをよく目にしていた。

時には手が出たり、モノが飛んだり

怒り出すと手が付けられなかった。

 

笑ったり、怒ったり

とても感情表現豊かなおじいちゃん。

 

そんなおじいちゃんは

定年するまで大工をしていた。

 

当時、終戦後の復興中の日本。

私の地元の地域では農家が当たり前だったのだが

先見の明があるおばあちゃんの助言により

おじいちゃんは大工を志すことになったらしい。

 

始めはその地域の棟梁に弟子入りして下積みをしたという。

見て盗めということが当たり前の職人の世界。

何かを教わるということがほとんどなく

罵声を浴びせられながら、日々精進していたそうだ。

 

そうやって大工の技術を学び

一人前になった頃

はじめて自分で建てた家が

私の育った実家だった。

 

話によると

私の実家は私の父が生まれた頃に建て始めて

20年かけて完成したらしい。

なので正確に表現するとはじめて自分で建て始めた家が

私の育った実家だ。

 

始めは寝泊まりできる最低限の屋根と壁だけつくって

少しずつ作業を進めて今のカタチになったというから驚きだ。

そうなった理由は資金が足りなかったからだ。

他の家を建てに行き、稼いだお金で

自分の家を建てる。

 

今では想像を絶するようなことを

私のおじいちゃんはやったのだ。

 

当時、パソコンなんてないから

図面は木の板に墨で引いたもの。

材料は近くの山から木を切って来て

製材していたという。

 

そんなことを思わせないほど

一ミリの狂いもない

精密できれいな家が私の実家だ。

 

そこには

とてつもない

おじいちゃんの汗と涙がつまっているのだ。

 

そんな話を聞いてからというもの

私は

おじいちゃんのことを

とても愛おしいく思っている。

RADWIMPSのHINOMARU炎上騒動とは何だったのか?(後編)

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私が感じた2つ目のことは多くの日本人が自分たちが「日本人であることを考えること」に対して抵抗感を示すということだ。

 

RADWIMPSの歌詞がもし仮に愛国心を表現する歌だとしよう。

百歩譲って軍歌だったとしよう。

何か問題があるのだろうか?

 

スナックのカラオケで軍歌ばかりを歌うおじさんがいる。

彼らは戦争を肯定しているのだろうか?

いや、ただ軍歌が好きなのである。

 

HINOMARU騒動ではその曲が軍歌かどうかが問題なのではなく

そのことに過剰に反応してしまう日本人の無意識があるということが認識されていないことが問題なのだ。

 

どうして、日本人は戦争や愛国心に過剰なまでに反応してしまうのだろうか?

 

それは終戦後に日本人が集団でした決断が原因である。

 

日本人は戦後、自分たちが悪かったんだと決断している。

戦争自体がいいか悪いかの話ではなく、あくまで集団の決断が何だったのかな言及したい。

 

日本は戦争に対して自分たちが悪かったと決断するに至った原因としては、アメリカからのTVの普及による情報操作、戦後教育、東京裁判などがあげられる。

 

それらは日本人がしてきたこれまでのことを規定する上でとても大きな影響を与えた。

 

自分たちは悪かったんだ。

もう二度と過ちは繰り返さない。

もう二度と、熱くならない。

 

その集団全体の自己否定は次の世代にも引き継がれ、今もなお私たちの無意識深くに刻まれている。

 

その無意識が

日本人は日本人であることを誇りに思ってはいけない。

日本人であることを考えてはいけない。

と働きかける。

 

日本人だけど、日本人であることを認められない。

 

それはアイデンティティの不在を意味する

 

私たちは日本人のルーツを学ぶことが少ない。

海外では当たり前のように自国の歴史、ルーツを学ぶようだ。

日本の歴史教育は暗記をするだけ。

 

根っこのない花が枯れてしまうように

アイデンティティのない国は本来の力を発揮できない。

 

そして、私たちは根っこを探して彷徨い続ける。

 

日本人は日本人でないならばいったい何者なのか?

その質問が私たちの無意識にはあるのだ。

 

私たちが日本人としてのアイデンティティを喪失した日

 

8.15

 

この日に対する認識が大反転し

私たちが私たちの本当のアイデンティティを知ったとき

世界は驚くほどに変わる。

 

HINOMARU炎上騒動とは何だったのか?

それは「自分が何者なのか知りたい!」という

心の叫びだ。

 

自分が何者なのかを知って新しいスタートをきった私の変化ストーリー

yuya-odahara.hatenablog.jp