ザッピング・ライフ

超仙人系男子が綴る、新しい地球の歩き方。

感性がどこまでも花開く

感性がどこまでも花開く

今まで受け取ったことのない情報が

つくりたての避雷針に届く

 

それはまだ

雑音まじりで

はっきりとしてなんかいないけど

 

確かに

届いているんだ

 

誰かが

攻撃をしかけてくるんだ。

唸る声、うごめく感情

 

正確に精密に

誰かが指揮棒をふっている

 

叫び続ける、走り続ける

騒がしい声

 

人間を辞めて

新しく生まれ変わったとき

 

真実の声が

聞こえてくる

 

もう

迷ってなんかいられない

悩んでなんかいられない

 

聞こえてまったんだ

この時代の叫びが

 

今、

胸をはって

力強い一歩を

踏み出そうじゃないか

 

思い切った人生の決断をするために必要なこと。

人生の中では決断をせまられることが多々ある。

それは今の会社を辞めて新しい道を選択するときかもしれないし

大切な人にプロポーズするときかもしれない。

 

そんな人生の分岐点において選択をするとき

私たちはいろいろ考えるし、悩む。

時には周囲の目やプレッシャーに押しつぶされることもある。

自分の中の弱い部分が見え隠れする。

 

どうしてそんなにも

私たちは選択や決断に迷ったり、尻込みしたりしてしまうのだろうか?

 

決断するということの本質は

無限大ある可能性の中で、ほかのすべての選択肢を断ち、たった一つの選択肢に決めるということだ。

 

つまり、何かを選択するときには同時に何かを捨てなければいけない。

その捨てるという行為ができずに悩んでしまう。

 

例えば、結婚相手を決めるときに

今付き合っている彼氏でいいのか、

もしかしたらもっと理想に近い人が今後あらわれるかもしれない。

そうやって悩んで結婚を言い出せずにいるうちに時は経ち、いつのまにか。。

悩んでいる間は実は選択しないという選択をしてる。

 

それでは

どうしたら思い切った決断をすることができるのだろうか?

それはこの人生がどこからきてどこに向かっているのか?その答えを知ることだ。

 

例えば、あなたは自転車をこいで道を進んでいるとする。

なぜなら、まわりにいる人もみんな自転車をこいで同じ方向に進んでいるからだ。

ある時、誰かが車を手に入れてほかの人より早く前に進んでしまった。

そうするとみんなそれをまねして車で進んでいってしまう。

取り残されたあなたはとてもあせるし、取り残されまいと必死で車を探しだす。

 

しかし、あなたはその時、自転車を捨てて、車を手にすることが本当に正しい選択だといえるのだろうか?

 

もしかしたら、その道の先は行き止まりかもしれないし、大きな落とし穴が待ってるかもしれない。

 

あなたが進んでいる道がどこからきて、どこに向かっているのか?

果たしてその方向で正しいのか?

 

正解はバックすることかもしれないし、正しい道具は自転車でも車でもなく、

どこでもドアかもしれない。

 

つまり、

思い切った人生の決断をするためには

この人生がどこからきて、どこに向かっているのか?を正しく知ることが必要なのである。

 

周りがなんと言おうとも関係ない。

あなたの心の奥底から発せられる声に耳をすましてみてほしい。

 

元旦らしいことしてみた。

今日は元旦。

一年の始まりの日です。

 

そんな大切な日ですが、正直寝ていたい、、という誘惑にかられながら、

きっとこたつとミカンという組み合わせがこの家にあったら確実に寝てるだろうなと思いながら、

(幸いなことに家にはミカンはあってもこたつは備え付けていないので寝正月は回避できている)

1年に一度しかないこの日に、この日らしいことをしておきたいと思いパソコンに向かっています。

 

元旦らしいこと、それは今年一年の決意表明です。

一年の始まりの日に決意を表明することで新しいスタートが切れるのではと思ったからです。

とはいっても何を決意したらいいかも分からなかったので、遊び感覚でカードを道具に使ってみようと思いました。

 

使ったカードは108種類のキーワードが書いていて、引く人の無意識が現れるというものです。

 

スピリチュアル的なことは信じてなかった私ですが、ものは試しと思い一枚引いてみることにしました。

 

出てきたカードは「笑い・ユーモア」。

 

・・・

 

笑い・ユーモアとは程遠い人生を送ってきた私は、黙ってそのカードをカードの束に戻しました。

とりあえずなかったことにしてもう一度。

 

出てきたカードは「笑い・ユーモア」

 

なんでやねん。

 

関西人でもなんでもない私が思わず突っ込みたくなるほどの、奇跡的な確率でオープンされたカードが私の心に何かを訴えてくるのでした。

 

この108種類のカードに書かれているキーワードにはそれぞれ解説的なメッセージがあります。

私は「笑い・ユーモア」のカードのメッセージを読んでみました。

 

笑い・ユーモア:

自分にとらわれていている状態では、笑い・ユーモアのセンスは開発されない。

考えが多ければ、人を喜ばすセンスは遠のいてしまう。

自分がオープンになれば、相手もオープンになる。

誰にでも笑い・ユーモアのセンスが溢れている。

 

深い、、

私には思い当たるところがありました。

確かに2018年は自分にとらわれて、考えや感情にとらわれていたことが多かったように感じます。

例えば、組織の中で活動するとき相手からどう思われているのかを気にして自分の恐怖や不安の感情にはまって、相手のことを気にしたり、能動的に人にかかわっていくことが少なかったように感じることがありました。

その時は自分自身の殻に籠って防御線をはり、相手から攻撃や否定をされないようにということばかりを考え、相手の気持ちを思いやることができてなかったように思います。

 

あたってる。

無意識を表すカード、末恐ろしい。

 

でも、最後の表現にはっとしました。

「誰にでも笑い・ユーモアのセンスが溢れている」

 

笑い・ユーモアのセンスは私はないほうだと思っていました。

学生時代、クラスの中でもおとなしくほとんど話すことができなかった私は、誰とでもなかよくなれて話がおもしろくて人気者の人をみるとうらやましく思っていました。

どうせ自分にはそんな風にはなれない。。

 

でも、誰にでも笑い・ユーモアのセンスが溢れているという規定は、笑い・ユーモアがない私から笑い・ユーモアのある自分になろうとするのではなく、すでにそのセンスはあるけどそれを発揮できてないという意味です。

それが発揮できない原因は自分にはまっていて相手を喜ばせようという意識が足りないだけなのだとしたら、自分から出て、相手の気持ちを考えることさえすれば、笑い・ユーモアのセンスは発揮できるようになるということです。

 

なるほど。

それだったらできるような気がする!

 

遊び半分で引いてみたカードにとても勇気をもらった一日でした。

 

宣言します。

自分にはまってクローズで面白くない私止め、オープンになってたくさんの人とつながり、たくさんの人を喜ばせることができる笑い・ユーモアに溢れる一年にすることを決意いたします。

 

2019年元旦

 

 皆さんは今年どんな一年にしたいですか?

 

 

溢れる

どんな時も

私のそばにいて

見守り続けてくれていたあなたは

 

私の刺すような視線に

何を感じていたの?

 

あなたは

どこまでも深い愛で

私の心を包んでくれていた

 

私はあなたをどんなに傷つけたとしても

あなたは

子供のような笑顔で

笑っていた。

 

すべてを愛し

すべてを受け入れてくれる

 

あなたとともに

わたしはある。

人の人生に責任を持つために必要なこと。

私たちは人との関わりの中で生きている。

会社に行けば上司や同僚と

家に帰れば家族と

そして恋人、友達と

関係し、影響しあいながら

私たちは生きている。

 

人と関わりの中で生きていると

人の人生の相談にのることが少なからずあるだろう。

それは

同僚の転職の相談かもしれないし

子供の進路相談かもしれない

はたまた友人の恋人との関係性についてかもしれない

 

あなたのささいな言葉がきっかけで

あなたの大事な人の人生の方向性が決定してしまうことになりかねない。

 

そんなときあなたは

その人の人生に責任を持って

向き合うことができるだろうか?

 

 

私は人生の中で何回かの「転機」があった。

高校進学を学区外の高校に決めたとき

第一志望が受からずに地元の大学に進学したとき

大学を卒業して専門学校に進学したとき

 

 

私はこれらの転機の時とても悩んでいた。

 

とにかく何を選択することがベストなのか?ということが私には分からなかったからだ。

 

両親に相談したり、友人に相談したり

学校の先生に相談したりした。

それぞれはそれぞれの言い分を言った。

 

それらに一貫性はなく

ベストな答えなど分からなかった。

 

ただ、相談に乗る人は決まって

過去の自分の経験を判断の基準にもってくる。

 

選択の蓄積が人生だと考えたときに

何を基準に選択するのか?はとても重要だ。

その基準が他人の過去の人生の基準であったなら

それは自分の人生を選択しているといえるのだろうか?

 

人の人生となったらなおさらだ。

私の過去の基準によって人の人生が決まってしまうなんて

おそろしい。

なぜなら、私の過去正しかったことが現在も正しいとは限らないからだ。

それによってその人の人生が決まっていくなんて。

 

では人の人生に責任を持つために必要なことは何だろう?

それは人生とは何なのかを知り、正しい基準をもつことだ。

人生が何のためにあって私たちはどこに向かわなければならないのか?

その答えが分かった時に初めて、人の人生に責任を持った生き方ができる。

 

私自身、その答えが分かった時

人生の選択に迷いがなくなった。

なんのために生きるべきなのか?

人生の目的意識が明確になることで

判断の基準も明確になるからだ。

 

大切な誰かの人生をより良いものにしてあげたいなら、

それらを正しく知ることがなによりも先決だ。

 

 

私たち

この国は何度も消えて、また立ち上がる。

そこにたくさんの涙はあれど、恨み憎むことはしない。

 

どんなに険しい道だとしても、決して弱音を吐くことなく。

ただ、ひたすらに歩み続ける。

 

一日一日を無駄にすることなく、粘り、最後まで諦めず。

 

欲することなく、決して怒りを露わにすることはない。

 

何度でも、何度でも。

私たちは立ち上がり続ける。

なんにもない街×可能性のある街(後編)

そんな生活に慣れてしまって、最近、仕事の関係で秋田県に行く機会があった。

私は秋田に行くのは初めてだった。

 

空港に降り、飛行機から出た瞬間、

明らかな都会と秋田の違いを感じた。

「空気がおいしい」

周りには何もなく、遠くを見渡すと山ばかり。

道路はどこまで続いていくのだろうかというほどの一本道が続いていた。

 

最初のコンビニを見つけるまでに少し時間がかかった。

次にコンビニがいつ見つかるか分からないのですぐに寄ってお昼ご飯のおにぎりを買い目的地へと向かった。

 

地元の人は口を揃えて言う。

「秋田にはなんにもない。」

 

それを聞いて私は妙に納得していた。

その街は私が早く出たいと思っていた地元の田舎街とよく似ていたからだ。

 

実際に秋田は消滅予定都市第一位らしい。

自殺率一位、婚姻率一位、人口減少率一位、、、

その他ワースト記録をたくさん持っているようだ。

 

誰もが諦めそうなこの街を世界中で1番重要な都市にしようとしている人がいた。

nTech創始者Noh Jesuだ。

 

彼はその日の講演でこう言っていた。

「秋田をアジアのフィレンツェにする。」

 

フィレンツェはイタリアの都市で、かつてルネッサンスという新しい文化が隆盛したときの中心地だ。この都市が中心となって新しい時代は創られていった。

 

そのフィレンツェと同じように秋田は新しい時代を創る中心地となる。

 

なぜならば、、、と語る彼の言葉には揺るぎない確信と溢れるほどの意志を感じた。

 

なんにもない街は可能性のある街だ。

力強い規定が私たちの未来をつくっていく。

 

物事はどこから観るかによっていかようにも変えられるのだと感じた。

そして、どれだけ沢山のことを今まで、小さく小さく制限した中で観てきたのかという事も同時に感じた。

 

山口の田舎街に回顧する私を乗せて、秋田発の飛行機は飛び立った。