ザッピング・ライフ

超仙人系男子が綴る、新しい地球の歩き方。

博愛の天国

以前の私は事あるごとに人と比較しては、落ち込んだり、嫉妬したりしていました。

 

というのも、私は双子として生まれたので、常に兄と比較されながら育ったためです。

少しでも自分より優れてる人を見ると自信を失い、足を引っ張りたくなっていました。

 

私自身その性格が嫌だったので、変えたかったのですが、どんなにその性格を直したくてもなかなか変わることはありませんでした。

 

nTechと出会って、比較することからくるいろんな感情から自由になることができました。

なぜなら、本当の自分は比較できない博愛の心そのものだったと知ったからです。

 

博愛とは比較が不可能な一番広い心です。

 

その心が道具として使えた時に初めて、人を愛することができるようになります。

映画「キングダム」に観るリーダーに必要なこと

映画「キングダム」を観てきました。

私は原作の漫画を読んだことがなかったので、どんなストーリーなのか全く知らない中での鑑賞でした。

 

この映画を通して感じたことは、

 

いかに多くの人の心を動かすことができる夢を語れるか?

 

それが、リーダーに必要な最も重要な能力であるということです。

 

映画の時代設定は春秋戦国時代

当時の中華は、7つの国が国の存亡をかけて争っていました。

 

その中で秦の若き王は中華統一という夢を語り、人々を結集させていきます。

 

それは、今までの過去の過ちや、憎しみ怒りの感情によって分断されてしまった国や部族の境界線を全て一掃すし統合を成し遂げる夢でした。

 

私たちが生きる今の時代も沢山の境界線が存在します。

国の境界線はもちろんですが、様々な価値観が認められている今の時代は目に見えない境界線が沢山あります。

 

そんな分断の時代を誰もが共感するビジョンを掲げて、それを語り、共有する能力が今からの時代を生きるリーダーには必要な能力であると思いました。

観点の地獄①

観点の問題を解決できないと地獄です。

なぜなら、機械的条件反射に捕まって同じことばかりを繰り返してしまうからです。

 

以前の私の場合。

集団の中に入るような環境では、条件反射で孤独感を感じてました。

例えば、学校の教室で集団生活を送らなければならない時に、友達の輪になかなか入らずに寂しい感情が出てきます。

 

自分から話しかけたりすればいいのに、常に誰かが話しかけてくれるのを待つような受け身の姿勢を取ってしまうので、いくら時間が経っても集団の中に溶け込むことができません。

 

他の人達が仲良くなっているのを見て羨ましく思ったり、嫉妬したり、中に入れない自分に対して自己否定したり。

そうやってますます輪の中に入れない状況を自らつくってしまいます。

 

しまいには、人間関係を諦めて1人の世界に逃げてしまいます。

 

それは、自分はどうせ人から受け入れてもらえないという自分自身の観点にはまって、そこから抜けられないことが原因です。

 

観点から抜けられないと同じことを何度も何度も繰り返してしまいます。

 

これは観点の地獄です。

 

 

機械化される人の心

機械のように私たちは働いている。

どんなに出世しても。

どんなにお金を稼いでも。

私たちは、機械のように働いていくことに変わりはない。

それは、経営者だとしても。

時代のリーダーだとしても。

 

人間一人一人がアルゴリズムで動く。

この状況では、こんな言動をというふうに、繰り返し動く。

 

AIに追い越される日はそんなに遠くはないだろう。

人間は機械のようだが。

人間は機械なのか?

 

いや、人間は機械ではない。

人間は心である。

 

人間は機械ではない。

 

令和スタート

令和がスタートしましたね。

新しい元号の始まりの日に私は韓国にいます。

 

私は韓国で日本の本当の可能性について学んでいます。

日本はアメリカに負け失ったものはたくさんの人の命とたくさんの建物だけではありません。

日本の心を私たちは失いました。

その心はどんなものも統合できてしまう、和の心であり、現実の中に入って真剣勝負ができる侍の精神でもありました。

 

戦時中私たちの先祖は、不安や恐怖を盃にして飲んでぶち破り、未来に生きる私たちのために命をかけて戦って散っていきました。

そんな死に方勝負を今を生きる私たちはできるでしょうか?

 

平和ボケといわれ、本来持っていた日本人としての心は跡形もなくなり、ただ個人主義の波にのまれ目の前のことで必死で。

そんな生き方が恥ずかしいと思うことすらなく。

 

令和を迎えた私たちは、新しい時代をつくるきっかけを自らの手で作っていかなければなりません。

 

私は韓国で、本当の日本の心を府に落とし日本に帰りたいと思います。

母親が嫌いな人へ

私は母親が嫌いでした。

そして、さらに恨んでもいました。

なぜなら、私自身の性格が母親のせいでつくられたと思っていたからです。


例えば、私は人と話すのが怖かったです。

それは、母がよく怒っていたので人にいつ怒られるのだろうと常に人の様子を伺う性格になってしまっていたからです。


そんな性格のため、私は人と交流を持てずにいました。

どんなに変わりたいと思ってもその性格は全然かわりませんでした。

この性格が変わらないのであれば生きる意味なんてないとさえ思いました。


なので、こんな性格にした母親を恨んでいました。


だけれどもnTechを知って、むしろ母親に感謝するようになりました。


なぜなら、その性格にした原因は母親ではなく脳の機能のせいだと分かったからです。

そして、脳の機能から自由になることで、今まで悩んでいたことから自由になりました。

それどころか生きる意味を獲得でき今までにない感動の人生を送っていくことができるようになりました。


そのことに気づかせてくれたのは、母親がそういう風に育ててくれたからだと気づいた時は涙が溢れて止まりませんでした。


誰もがその家庭に生まれたことには意味があります。

ぜひ、その本当の意味を知り、新しい人生を歩んで欲しいと思います。

ル・コルビュジェに観る時代をけん引する力

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今日は国立西洋美術館で開催されていた

ル・コルビュジェ 絵画から建築へーピュリスムの時代」 

を見てきた。

 

コルビュジェは私が学生時代に好きだった建築家のうちの一人だ。

 

彼の生きた時代は第一次世界大戦終結直後、第二次産業革命によって機械化が進み、鉄道や蒸気船などが登場するなど、いわゆる大量生産の仕組みが発展した時代である。

 

美術館には彼の絵画がたくさん展示されていた。

彼は建築家の前に画家だった。

ピュリスム(純粋主義)といわれる彼の絵は、日常のモチーフを

機械的な構図で描いた絵。

 

ぱっと見何を表現しているのかわからない。

ピカソの絵を思い浮かべることができるだろうか?

あのようなカクカクしているような感じの絵だ。

ピカソにもコルビュジェは影響を受けることになるのだが。

 

どうしてそんな絵を描いていたかというと、彼は幾何学の美しさに惹かれていたからだという。

目で見たままを描くのではなく、ものの本質をとらえようとしたのだそうだ。

 

彼はその後、建築家としての才能を発揮することになる。

ある建築のアールデコ博覧会が開かれた。

当時の建築の主流はアールデコ

機械化の時代を反映はしていたが装飾芸術の域を出ていなかった。

その博覧会にコルビュジェは装飾芸術とは真逆の規格化された形態を重視する機能的な建築を出展し注目をあびることになる。

 

例えるなら、メイド服限定のファッションショーでレースがフリフリついたメイド服を着ている人たちの中にただ一人、短パンとTシャツで乗り込んだみたいな感じだ。

 

彼は装飾芸術を否定した。

 

装飾は権威の象徴である。

近代よりも昔、神様が信じられ、王様がいて国民を支配していた時代。

王様の権威を表わすために華美な装飾が用いられた。

それによって生まれたのは格差のある世界。

 

装飾をなくして、機能性を追求することは

誰もが平等であるということだ。

幾何学の中に誰が見ても美しいという普遍的な美しさを観て、自由を表現したのが

コルビュジェだった。

 

彼はモダニズム建築の礎を築くことになる。

 

そして今。

大量生産、大量消費の時代からAIが台頭していく時代。

量子力学、平行宇宙論が出てきた現代ではもう

コルビュジェの夢見た誰がみても美しいという美の普遍性の時代は

遠の昔に終わりを告げている。

 

科学技術の限界(シンギュラリティー)が叫ばれている時代に

私たちは次の新しい時代を迎えようとしている。

 

 

これからの時代をけん引していくために必要なもの。

それは、コルビュジェのように、今までの概念をすべて否定する勇気だ。

 

今がダイバーシティ的な混迷な服装が主流なファッションショーなら我々は全裸で乗り込んでいこうか。

いや、体の服すら脱いでしまうことかもしれない。